SAD(社会不安障害)と生きる

社会(社交)不安障害の当事者です。症状のことや対処法について、のんびりと書いてます。

人間関係が広がって思うこと

ここ最近調子が良く、社会不安障害の症状に悩まされることはあまりなくなりました。

頓服の抗不安薬ワイパックスの後発薬ロラゼパム錠)を3ヶ月に1回くらい飲む機会があるか、どうかという状態です。

 

いやー、私もすっかり社会不安障害とはおさらばかなと思っていたのですが、さにあらずというお話を書こうかと思います。

 

一時期の絶不調の時期に比べると、社会不安障害の症状はぐっと少なくなり、気分がふさぎがちで、行動する気力がなかなか湧かないという状態は改善されてきました。

 

 

以前は、何か趣味に打ち込んだり、新しい人間関係を築いたりすることは私にとっては大変ハードルの高いことでした。

 

そもそも元気が出ないので、日々の生活をこなすのに精一杯で何かに興味を持って趣味にするなんて考えられなかったし、新しい人間関係のなかで自分が受け入れてもらえる自信もなく、ごく限られた関係のなかで生活していました。

 

 

 それが最近では、テニスにはまっていて、テニススクールの知り合いの人達とプライベートで練習したり、さらにネットで知らない人たちとのテニスの練習会に参加したりしています。

 

また、先日の記事でも書きましたが、美容整形手術を受けるなど、新しいことにも挑戦(挑戦という言葉が適当かはよくわかりませんが(笑))するようになりました。

 

だが、しかし・・・社会不安障害の症状が全くなくなったわけではありませんでした。

 

 社会不安障害を意識した場面 その①

美容整形手術を受ける過程で、お医者さんに顔の写真を撮影してもらうことがありました。

手術のBefore/Afterや術後の経過を記録しておくためなのですが、先生がカメラを向けるや否や、あの嫌な緊張感を思い出しました。

 

カメラがこちらを向いている、じっとしていなければいけないと意識すればするほど緊張感が高まり、首?というか顔?というかが震えてしまいました。

 

まあ、先生は何も気にしちゃいないでしょうけど。

そして、私も症状が出たことに対して、以前ほどのショックを受けないから不思議でした。

ああ、お久しぶりですね~という感じでした。

 

社会不安障害を意識した場面 その②

先ほど書いたように、ネットで見つけた知らない人たちとのテニスの練習会に参加するようになりました。

テニスが好きという共通項があるし、テニスをすること自体はとても楽しいです。

 

しかし、練習会に参加した後の疲労感が半端ないのです。私は、疲れるとよくなるのですが、ゲップがすごく出て、吐き気がひどいし頭痛もする。

 

最初は体力がないのかなと思っていたのですが、週3回くらいのペースで練習を続けていても、やはり知らない人たちとの練習会に参加すると相変わらずすごい疲労感。

そして、見知った人たちとの練習では、疲れはするが、吐き気や頭痛まではない。

 

はて?と考えてみたところ、実はすごく緊張していて、それがこの疲労感につながっているのではないかということ。

 

もちろん知らない人たちばかりなのですごく緊張します。

練習の内容についても細かなやり方は、その練習会ごとに違うし、慣れずにオタオタすることがよくあります。

そして何より、知らない人たちとの練習だと、迷惑を掛けてはいけないと思って、必要以上にテキパキ動こうとするし、休憩を取りたいとなかなか言い出せず、限界まで頑張ってしまう。

 

社会不安障害の症状というのとは少し違うかもしれませんが、対人緊張が強いことがこういう結果につながっているのかもと考えると、社会不安障害と無関係ではないと思います。

 

新しい人と知り合うことは楽しいし、テニスをすること自体もすごく楽しいのに難儀だなぁと思います。

 

 

最後に思うこと・・・

教科書的には、社会不安障害は性格ではなく、病気であり治すことができるということになるのでしょう。

しかし、このような病気というのは、どこまでが性格でどこまでが病気かという境界線は曖昧なのではないかという気がします。

そもそも、対人関係の持ち方、外界をどう捉えるかといった認知のあり方がこの病気の背景にはあると思うのですが、それって性格の一部でもあると思うのです。

 

そうではない、社会不安障害はやはり病気だ!という意見もあるとは思いますが、私にとってはもはや自分の一部という感じがしています。

 

なので、社会不安障害的な要素を全くなくすことはできないので、それをゼロにすることを目指すよりは、時には頓服に頼りつつ、生活のなかに楽しいことを増やすことを頑張っていきたいなと思っています。

 

ただし、もちろん、社会不安障害の症状がバンバン出ていて日常生活に大いに支障を来たしていた頃は、症状が出なくなることが一番大事なことでした。ここでお話したかったのは、その症状が大分落ち着いた後のことです。

 

近況報告(美容整形を考えてる話②)

さてさて、暑さがやわらぎ、大分過ごしやすくなってきましたね。

 

最近、ブログ記事にコメントをもらえることがあって、嬉しくなって記事更新します。しかし、社会不安障害には全然関係なくて、美容整形についての話です。社会不安障害について知りたくて、このブログを訪れた方は、他のページをお読みください。

 

このブログで圧倒的に見る人が多いページって、お薬のページなんですよね。

みなさん、社会不安障害かも・・・って思って困った場合、最初に思いつく対策は、心療内科に行って薬を処方してもらうことですもんね。私もそうでしたし。

でも、私の場合は、薬は応急措置として役に立つことはありましたが、根本的にはそんなに助けになったという感覚はないのですが・・・(´ε`;)

 

さて、前回の記事に引き続き、美容整形を考えている件についてです。

 

ossan-nyanko.hatenablog.com

前回の記事はこちら。

二重整形をするべく、何件かのクリニックをまわりました。

 

1件目:銀座にある美容外科

問診票の記入があるので、予約時間の15分前に来てくださいと言われていたので、余裕を持って自宅を出ました。銀座ってほとんど行ったことがなく、銀座駅が最寄りだとすっかり思い込んでいてのですが、銀座駅で降りて、直前に地図を見てみたら銀座一丁目が最寄りとのこと。

 

え!銀座一丁目ってどこ??銀座から遠いの!?とわちゃわちゃして、おまけに道に迷って、到着したのは予約時間ちょうど。

そうでなくても初めての美容外科で緊張しているのに、もうすでに帰りたい気分でした。

 

事前に遅れる旨を電話していたので、問題なく受け付けてもらえましたが、どっと疲れました。しかも、銀座って街も人もお洒落なので、自分が場違いなような気がしてしょうがない。

 

で、問診票を記入して、いよいよ先生とのカウンセリングです。ドキドキ。

先生は、若めの男性の先生で、比較的丁寧に二重ができる仕組みや手術の内容について説明してくれました。しかし、私が気になったのは、先生の耳たぶに片方3つほどピアスホールがあいていること。チャ、チャラい・・・・。

 

あと、先生がカウンセリング中に服の襟口から手を突っ込んで、肩をボリボリ掻いていたこと(しかも、2回。先生、肩が痒いんですね・・・と思いました。)。

 

先生の技術とは関係ないんですが、そういうフィーリングって大事じゃないですか?

このあたりでこのクリニックで手術することはないかなーと思いかけてました。

先生からは、埋没法でも切開法でも希望の二重幅にすることはできるけど、目を開く力が弱いので(目を開く力が弱いので、まゆげをあげて目を大きく開こうとする癖があると言われました。)眼瞼下垂の手術をした方が確実だとのこと。

 

でも、眼瞼下垂の手術はかなり高額。目が開きにくいと思ったことはそんなにないのだけど・・・。何だか釈然としない気持ちでした。

ちなみに初回カウンセリング料金は、無料でした。

 

 

2件目:新宿の美容外科(全国展開している大手)

 待合室の椅子?ソファー?が仕切られていて、あまり周囲の人の視線が気にならないようになっていました。

先生に、埋没法と切開法で迷っていることや希望の二重幅を伝えました。

先生曰く、私の希望する幅なら(比較的狭めの末広型を希望していたのです。)、埋没法でいいとのこと。

 

先生:「そりゃ、切開法を勧めたほうがこちらとしては儲かりますけど、その幅だったらわざわざ切開法でやるメリットが少ない。切開法でやっても40代になって瞼がたるんできたら、幅も変わってきてしまうから。」とのこと。そ、そうか・・・ズバズバ言いますね(´;ω;`)

 

先生に対しては、特に嫌な感じは受けず、質問には答えてもらえましたが、私の瞼に全く触れることもなく、淡々と終わりました。1件目と言われたことが全然違うのだが・・・。

 

料金の説明は、1件目のクリニックもそうだったのですが、先生ではなくクリニックのお姉さんと交代です。埋没法の基本料金は、6万5千円ほどなのですが、なんかいろいろオプションがあって、一番高いのだと30万円近くになるのです。

 

オプションは、麻酔の注射針の太さ、腫れ止めのサプリメントの有無、担当医の違いなどなどのようでした。

 

しかし、注射針の太さが細くて、サプリがあったら、そうではない場合と比べてどれくらい仕上がりや腫れ具合が違うのかと聞いたって、確かなことは答えられないですよね。

実際、お姉さんに聞いたけど、はっきりしたことは答えてもらえませんでした。

そんな曖昧なものに何万円も追加で払うなんて・・・無いな。

 

カウセリング料は無料でした。

 

 

3件目:東横線沿線の美容外科

事前にここのクリニックの先生のブログを読んで、カウンセリングに行きました。

ブログの内容は、二重手術の実施や経過例が記載されていて研究熱心な先生だなぁという印象でした。

 

待合室で待っていたら、先生本人が呼びに来たのでびっくりしました。

埋没法か切開法で迷っているという話をしたら、「自分ではどうしたいと思ってるの?」と聞かれました。

 

するどい質問・・・。

一番の希望としては切開法でやりたい気持ちがあること(埋没法でやってもいつかは取れてしまうので)、しかし、切開法の方が腫れが引くまで時間がかかり、長く休みが取れるかわからないので埋没法も考えていることを伝えました。

 

切開法を前提に、器具を瞼に当ててどれくらいの幅が良いかを何度もシュミレーションしてくれました。

初診料は5,000円ほどでしたが、1時間近くカウンセリングしてもらい、きちんと二重のデザインについて時間を割いてくれて信頼できる感じがしました。

 

先生自身は、そんなに愛想が良いというわけではなく、どちらかというとぶっきらぼうな印象でしたが。

 

手術料金もよくわからないオプションがたくさんあるわけではなく、先生自身が料金についても説明してくれました。

 

 

4件目:銀座にある美容外科(1件目とは別のクリニック)

こちらでも1件目と同様に、軽度の眼瞼下垂があると言われました。

1件目と違って瞼の開き具合を定規を使って測定してくれました。

なので、切開法の手術をする場合、術中の判断で眼瞼下垂の手術を行うかもしれないとのこと。

 

有名は先生で、学会の専門医でもあるので技術は確かなのだろうと思います。

ただ、最終的な料金見積もりでびっくりしました。

眼瞼下垂の手術が加わると、プラスで約65万円、トータル100万円近いのです。

 

そんな・・・手術やってみて終わるまで、65万円掛かるか、掛からないかわからないなんて・・・。もちろん眼瞼下垂の手術をしないでほしいと言えば、そうしてもらえるみたいではありましたが、必要かもしれないのを事前に断るのも変な感じだし。

しかし、手術終わるまで、100万円超えるのかな、どうなのかなとドキドキしながら過ごすなんて、そんなのあんまりだと思いました。

 

 

 

・・・というわけで、最終的には休みもあまり取れないこともあり、カウンセリングを受けたクリニックのうち1件で、埋没法の手術を受けました。

 

ところで、不安障害全般の人に言えると思うのですが、私の考え方は、ハイパーネガティブです。

www.huffingtonpost.jp

この記事は、不安障害を抱える人たちが日常的にどんな不安に直面しているかを紹介したもので、不安障害のある人であれば、「あー、何かわかるな。」と思うのではないでしょうか。

 

私も、何か起きると悪い方に考えるし、物事の良い面と悪い面だったら、徹底的に悪い面を洗いざらい検討して、余計に不安になるということを日常的にやってます(笑)

 

手術の日が近づくにつれて、段々不安になってきました。

よせばいいのに、埋没法の手術の副作用で視力が低下してしまった人の記事を見つけたり、デザインが変な感じになってしまった人のブログ記事を見つけたりなんかして、自分もそうなったらどうしようと、どんどんネガティブスパイラルに入って行きました。

 

私がハイパーネガティブであるのに対して、夫はハイパーポジティブです。

夫に、不安になってきたことを伝えると、「えー、大丈夫じゃない。手術楽しみじゃない。」(ニコリ(´∀`))みたいな感じで返されて、同じものを見ていてこんなに認知の仕方が違うのかとめまいがしました。

 

実際に手術が終わった直後はそんなに瞼も腫れていなかったのですが、翌日から瞼がパンパンに腫れて、ガチャピンみたいな目になりました。

 

https://pics.prcm.jp/dbd803d9c1334/49714128/jpeg/49714128.jpeg

ガチャピン・・・

*1

 

もちろん腫れることはわかっていたのですが、実際に腫れた目を見ると、これがいつ引くのか、キレイな二重になれるのか・・・と不安で仕方なかったです。

 

私:「二重の幅広くし過ぎたかな?やり直さなきゃいけないなんてこともあるのかな?あー、どうしよー(´;ω;`)」

夫:「大丈夫だよ。手術直後の感じはいい感じだったし、先生を信じよう!」

 

こんなやり取りを2、3日続けました。

で、4日目を過ぎたあたりから、腫れがぐっと引いてきました。

そうしたら今度は、「幅狭く設定し過ぎたかな?」と言い出す始末。

 

我ながら、どっちなんだよ!と思いますが(笑)

 

最終的には、アイプチでかぶれることもなくなり、すっぴんでも二重のままなのですごーく楽です!!やって良かったなと思います。

 

手術の件でもそうなのですが、例えば、夫とやり取りをしていると、健康な人と自分の認知の仕方の違いに驚かされることが多々あります。

私は、隙あらば物事のネガティブな面を拾いに行きますからね。そうした認知の仕方も社会不安障害と関係しているのかもしれないですね。

 

近況報告(美容整形を考えてる話①)

またまた、久しぶりの更新です。

前回の記事を更新してしばらく経った頃に、はてなブログから「30日(だったか60日)以上ブログの更新がありません。ブログを更新しましょう!」(詳しい文面は覚えてない)みたいなお知らせが来ていました。

「おお、はてなブログからも尻を叩かれている!更新しなきゃね。」と思っていたのですがね、ええ。

 

私は、この4月に転勤があって、職場が変わりました。

新しい場面に馴染むのに時間がかかる私にとっては、ここ4ヶ月ほどは結構ストレスフルな日々でした。

まず、単純なところで言えば、物(例えば、文具品とか資料類とか)がどこに置いてあるかがわからないので、人に聞けばいいんですが、「今、聞いて迷惑じゃないかな。」とか、「こんなことも知らないのかと思われないかな。」(いや、転勤してきたばっかなんやし、知らなくて当たり前なんですけどね。)とか思ったりして、質問するのも一苦労なわけです。

そんなこんなでバタバタしていて、ブログの更新にまで手が回りませんでした。

 

しかし、今日、久しぶりにアクセス数を確認してみたところ3日ほど前からアクセス数が急増しているのです。何事?

 

それを見て、せっかくだから更新しようかな~と思ったのですが、最近何かネタがあったかな~と思い返してみても、社会不安障害どストライク!なネタはそんなにないです。

というわけで、近況報告をします。

社会不安障害に何の関係があるのかと思われると思いますが、最近、美容整形外科めぐりをしています。

 

私は、3年ほどまえから、アイプチという人工的に二重を作るメイクをしています。

aiputi-zukan.com

私が使っているのは、この記事で紹介されている、ローヤルプチアイムという商品です。比較的綺麗に二重が作れるので、気に入っているのですが、1年ほど前からまぶたがかぶれて赤く腫れるようになってしまったです。

でも、二重で職場に行っているので、今更、腫れぼったい奥二重の元々の顔で出勤するのは、すごく嫌。

そこで、ステロイドの薬を塗ったり、抗ヒスタミン剤を飲んだりして誤魔化しているのですが、さすがにこのままじゃいかん!と思って、二重整形をしようと思い立ったわけです。

 

しかし、二重整形って手術なので、どこの病院でやるか、どの先生にやってもらうかを慎重に選びたいなと思って、美容整形外科のカウンセリングにあちこち行っているわけです。

 

でも、対人緊張が強めの私にとって、最初は、カウンセリングの予約を取るのも一苦労だったのです。電話で予約を取るのはハードルが高いので、メールやネットの予約フォームで予約を取ろうと思うですが、そういうのだと大抵、「相談されたい具体的な内容」みたいな項目があるわけです。

 

具体的な内容って言われても、「二重手術について詳細を知りたい。」ってだけだと、漠然とし過ぎてるかな?

「私の目だと、二重の埋没法か切開法か(二重手術の施術の種類です。)どちだがいいか相談したい。」って書いても、「そんなの自分で考えろよ。」、もしくは、「てめぇの目のことなんか知らねえよ。」って思われるかな(もはや被害妄想のレベル)・・・とかうじうじ考えて、1時間経過・・・みたいな感じで、なかなか予約取れませんでした。

 

まあ、結局、どうにかこうにか予約フォームから送信して、でも、入力したメールアドレスが間違ってて返信来なくて(おバカ・・・)、結局電話で予約取り直したりして、最終的には無事にカウンセリング行けました。

 

で、結論から言いますと、何故だかよくわからないのですが、美容整形外科のカウンセリング行った後って、気分がとても前向きになります。

普通のカウンセリング行った後みたいに、何だかスッキリした感じで元気が出ます。

 

手術もまだやってない身で言うのも何ですが、もしこのブログを見て、少しでも整形などなどに興味持ってる方がいれば、カウンセリング行ってみるのオススメですよ!

もちろん良いことばかりではなくて、不必要で高額な施術を勧められたりとデメリットもあるので一概には言えないのですが・・・

カウンセリングに行くにしても、私は、まず美容整形している人のブログを読んで、良さそうな病院をピックアップして予約しました。口コミサイトだと、サクラもいそうだし、何が本当かよくわからなかったので、個人が書いていそうな素朴めなブログを参考にしていました。

 

こんなブログとかね。

 

二重まぶた♬全切開の日記

 

カウンセリング | 普通になりたいという願い

 

この2つ目のブログとか読んでて、何だかじんわりしたなぁ。

 

このようにそれなりに下調べをして病院を選んだので、そんなに大きく外れた先生にあたらなかったというのも良かったのかもしれません。

 

しかし、ともかく社会不安障害で打ちひしがれていた頃の自分と比べると、自分も随分変わったなぁと思います。

昔は、自分にひたすら自信がなくて(まあ、今でも自分の顔に自信がないから美容整形を考えるわけですが)、とにかく目立たないように目立たないように生きようとしていました。

 

ジーンズばっかり履いてスカートを履くことはめったになかったです。服の色も黒、茶、グレーなどダークカラーばっかりだし、ピアスはあけてたけど、大きめのピアスなんて私には・・・と思って、小さな地味~なピアスしかつけてなかった。

お化粧もほとんどしていなかった。

 

それが、「綺麗になりたい!」っていう欲求を素直に出して、行動できるようになったことは、自分にとって良かったと思っています。

 

人は見た目じゃない!というのは、ある面では真実だと思いますが、でも、事実の半面だなぁという気もします。

単純な美醜とは別に、その人の生き様や気持ちの余裕って外見にやはり現れるように思います。

特に女の人って、勝手に周りから見た目を値踏みされて、綺麗だとかブスだとか言われて、常に評価の視線にさらされて生きているし、それっておかしいと思います。

ただし、それとは別に誰にどう思われるではなくて、自分がこういう顔になりたい!と思うなら、そういう欲求は大事にしたっていいじゃんと思います。

 

何だか長くなったので、次回以降に美容整形についてはもう少し書こうかなと思います(気が向いたら。)。

トラウマからの回復とは?

久しぶりの更新です。

読み返してみたら、お正月の帰省と親戚廻りでぐったりしてからずっと更新していなかったのですね。

 

最初は、社会不安障害とのこれまでの付き合いを振り返ろうと意気込んでいたのですが、なかなか意気込み過ぎたのか、記事を書くのに疲れてしまって更新が滞っていました。

 

あと、やはりブログなので多少読まれている方のことも意識すると、「ちゃんと書かなきゃ!」と気負いすぎていたのかもしれません。

 

しかし、アクセスを見ると結構このブログを見てくださっている方がいらっしゃるようで、のんびり続けていけたらなと思っています。

 

さて、本題に入ります。

社会不安障害の自助会に行くと思うのですが、これまで大きな問題なく幸せに生きてきたのに、突然社会不安障害になってしまったという方は、少数派のように思います。私自身がそうですが、家族との関係に問題を抱えていたり、これまでに何らかの生き辛さがあり、それが社会不安障害という形になって現れたということが多いように思います。

 

私にとっては、社会不安障害は厄介ですが、所詮と言っては変ですが、生き辛さの一部でしかないというか、社会不安障害の苦しみだけで自分の抱えている困難は説明できません。

 

私が自分自身の生きにくさを考えるときに、キーワードのひとつになるのがトラウマです。トラウマとなるような経験やその記憶とどう折り合いをつけていくかが自分にとっての大きなテーマです。(どんな経験がトラウマになっているのかという話は長いし、書くのもしんどいし面倒だし、ここでは省きます。)

 

最近、読んだ本がとても参考になりました。

 

www.kinokuniya.co.jp

紀伊国屋のサイトには、「世界的第一人者が、トラウマによる脳の改変のメカニズムを解き明かし、薬物療法の限界と、EMDR、ニューロフィードバック、内的家族システム療法、PBSP療法、ヨーガ、演劇など、身体志向のさまざまな治療法の効果を紹介する、全米ベストセラー。」という紹介文が記載されています*1

 

この本の面白かったところは、トラウマ的な経験がいかに人の脳に影響を及ぼすかということや、身体という観点からトラウマの治療法について考えていることです。

 

トラウマとか、精神障害というと、どうしても「心の問題」という観点から扱われがちですが、そもそも心って何?ということです。精神的な不調には脳が関係しており、脳は私たちの身体の一部です。そういう観点から書かれています(たぶん)。

 

人が気持ちよく生きようと思うとき、身体的なケアって意外と大事だと思います。

 

例えば、私の場合、体が冷えるとネガティブなことを考えがちになり、調子が悪くなります。「ああ、やっぱり私ってどこか変なんだ。」とか深刻に考えてたけど、意外とお風呂に入ったら元気になったということが結構ありました(^_^;)

 

この本の著者が、身体に注目するようになったきっかけとして、ある調査のことが紹介されていました。

それは、世界貿易センターのテロから逃げ延びた人たちを対象にした調査で、彼らが体験の影響を乗り越えるのに役立ったものとしてあげたのは、針治療、マッサージ、ヨーガ(ヨガのことですね)、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理方法)だったそうです。

 

あれ?服薬じゃなくて?カウンセリングでもなくて?認知行動療法でもないの?って感じがしませんか。

著者は、この調査結果からトークセラピー、トラウマについて話すことにはどんな利点があるのかという結構根本的な疑問を持ったそうです。

 

著者が、具体的に紹介している治療法としては、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理方法)、ヨガ、内的家族システム療法、PBSP療法(ペッソ・ボイデン・システム精神療法)、ニューロフィードバック、演劇などです。

 

聞いたことない治療法ばかりですが、書籍で触れられている内容については追々書いていこうと思います。

 

あと、「書くこと」も効果的だと書かれていました。例えば、自分自身に手紙を書くことは、心身の健康の改善に有用だそうです。

 

とても面白い本なのですが、いかんせん700ページ近くあります。

 

読むのになかなか体力がいります。

年末年始でぐったり

あけましておめでとうございます!

今日から仕事始めです。
私は、12月29日から1月3日までお休みでした。
お正月の親戚廻りでヘトヘトになりました。

新年は、自分の実家と旦那の実家に行きました。
自分の実家も直前まで行くかどうするか迷いに迷い、しかし、旦那は私が行かなくても顔だけ見せに行くというので、私も行くことにしました。

実家に行けば楽しいのも事実なんですが、思ってることを率直に言えなくて、言われて嫌なことがあってもそれに言い返せなくて、すごく嫌な気持ちになって帰ってくることもよくあるのです。

実家に行く前日に、親に会いたくない、でもそんなことを思う自分が情けないし、後ろめたいと言って、旦那の前で泣きました。生理前で体調が悪かったことも影響していたと思います。

で、結局行ってみて、まあまあ楽しかったけど、神経張り詰めてたから、ぐったり疲れました。

そして、その翌日は旦那の実家へ。親族を含めて10名近くが集合です。
みんな良い人たちで、気を使って話題を振ってくれたりもする。私も頑張って喋ろうとするんだけど、あまり普段会わない人たちばかりだし人数も多いから、ものすごく緊張した。何言っても場違いな感じがして、情けない気持ちで一杯でした。

旦那は、普通に喋ってたよと言ってくれるのですが、全然そんな風には思えなくて、やっぱり自分は普通の人にはなれないのだと打ちのめされた気分です。

こんなに良い人たちなのに、ネガティブなことしか考えられない自分が惨めでした。
最近は大分調子が良くなってきていたので、久々のボディーブローがしんどいです。

旦那の実家から帰ってきた夜も旦那の前でボロボロ泣きました。30歳も過ぎたいい大人が、、、という感じです。

みなさんは、こういう親戚の集まりとかはどうやって過ごされてるのでしょうか。

体調万全じゃないので仕事もなかなかやる気が起きなかったけど、気持ちが切り替えられるので、むしろ仕事があってありがたかったです。


対人援助職について

私は、現在、対人援助職と呼ばれる部類の仕事をしています。まあ、人の役に立たない仕事ってないので、対人援助職ってわざわざ言うのも大げさな感じですが、ほかに適当な呼び方が思いつかないもので、、、


対人援助職の定まった定義があるわけではないようですが、医療 ・教育 ・福祉などの領域における職務の総称として、対人援助職という呼び方が使われることが多いようです。看護師、ソーシャルワーカー、教員、カウンセラーetc


私は、前職が事務のお仕事だったんですが、激しく性に合わなかったのと、人に関わる仕事がしたいという思いから現在の仕事を選びました。学生の頃に、インタビュー調査をやったことがあるのですが、(対人恐怖のくせに)インタビューが面白かったという経験も影響しています。


しかし、対人援助職に就く前は、やってみたい!という気持ちの方が強かったですが、その一方で、私のこれまでの経験が悪い影響を及ぼさなければいいけど、、、という不安もありました。


対人援助職で関わる当事者の人って何らかの困難を抱えているわけです。そして、私も山ほどの困難をこれまで抱えてきました。家族関係の問題もありました。私が抱えてきたもろもろの困難にまつわる経験(特に家族との軋轢)、つまり私自身が抱えている問題と当事者が抱えている問題を混同してしまわないかが不安でした。


カウンセラーなどの対人援助職に就こうとする人のなかには、一定の割合で、その人自身が苦しい思いをしてきており、その経験をもとに人助けがしたい!という人がいます。でも、自分が苦しんできたから相手の苦しみに寄り添って良い援助ができるかって言うと、なかなかそう単純には行かないのではないかと思います。たまに、自分がこんな風に病気や問題を乗り越えてきたっていうのを前面に出して、カウンセリングなり何らかの相談業務を行っている方がいますが、私が援助を受ける側だったらこういう人は選びたくないなって思ってしまいます。


心療内科に通っている頃に、医者が自分語りをすることがたまにありました。例えば、「僕も、もともと会社員やってて、途中で医学部目指して医者になったけど、周りに遅れを取ってるって思ったことない。いくらでも取り返しがきくから、大丈夫。」って言われたことがあります。励ますつもりで言ってくれているんでしょうが、「あなたの状況と私の状況は違うし、いきなりそんなざっくりと励まされてもなぁ・・・。自分が頑張ってきたっていうのを言いたいだけじゃないん?」とひねくれ者の私は思っておりました。


援助の場面での自己開示の問題って難しいですよね。医師やカウンセラーさんがどう感じているかをクライエントに伝えることは、必要な場面はあると思います。でも、医師やカウンセラーが自分の経験をクライエントに伝えるっていうのは、どうしても違和感あるんですよね・・・(特に、「私も大変だったけど乗り越えたから、あなたも頑張って」系のやつ)。


依存症や児童虐待の問題に取り組んでいる臨床心理士信田さよ子さんという方がいて、著書もたくさん出されているのですが、その方の著作に次のような記述がありました。


信田さんは、「率直な意見を述べれば、できればその人たち(依存症からの回復者など、自分が苦しんだ経験を活かしてカウンセラーになりたいと考えている人たち-引用者註)はカウンセリングの世界ではないところで職業を選択されたほうがいいのではないかと思っています。」と述べています。その理由は、柔軟な想像力がカウンセラーには必要とされるが、「自分の経験のあまりの確かさが、かえってそのひとを経験から自由にさせてくれないという弊害があるのではないか」と思うからだそうです*1


これを最初に読んだときは、正直、ガーン(=´;ω;`=)と思いましたよ。私には、対人援助職は向かないのかもしれないと落ち込みました。


しかし!落ち込んでばかりもいられません!!
私は、この仕事をきちんとやり遂げたいんです!そして、きれい事だけじゃなくお金稼がなきゃいけないんで、今更仕事辞めるつもりもありませんしねっ!!


自分の経験に振り回されずに、目の前のケースに向き合えるようにするために、自分が少しでも元気で楽しく生活すること、自分の重荷を少しでも軽くすることが、私にとっては必要だし重要なテーマなのです。


しかし、不思議ですね。自助会では、お互いの経験を語り合うことこそが自分の力になったのに、カウンセリングや援助を受ける場面になると経験の意味合い(援助者がその場に自分の経験を持ち出すことが、必ずしもクライエントの助けにならない)がこんなにも変わるってのは、何でなんでしょうか。

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*1:信田さよ子『カウンセリングで何ができるか』大月書店, 2007, p.34

私がやってみたこと(自助会に行ってみる編)

いやー、すんごい寒いですね。これを書いてるのは12月26日ですが、明日はもっと寒くなるみたいですね(´;д;`)


ちょっと本題に入る前に脱線しますが、みなさんは、旅行のお土産を職場の人に配ることってありますか?私は、それがすんごい苦手なんです。


社会不安障害と通じるんだと思うんですが、少しでも自分に注目が集まりそうなことが、私は極端に苦手です。お土産渡すくらいで?って思いますよね!


こんなお土産もらって嬉しいかな?とか、どのタイミングで配ればいいのかな?とか、何て声掛けたらいいんだ?とか考えちゃうんですね~。お土産持ってったのにその日に配れなくて、次の日にやっと配れたこともありましたっけ、、、。そんな私が、今日ハードルを乗り越えて、無事に職場でお土産配ってきました。疲れた、、、。


てなわけで、本題に戻ります。そう、自助会!


私は、これまでにもいくつか自助会(セルフヘルプグループ)に参加したことがありました。自助会とは、同じような悩みを抱えた人たちが集まって、経験を語り合うことで回復を目指すグループのことです。私が参加したのは、1つ目はアダルトチルドレンのための自助会、2つ目は親が離婚した子どものための自助会。そして今回が3つ目。


自分にとっては、今回の自助会での出会いは、かなり自分の支えになっています。


自助会っていろいろなタイプのものがありますが、起源は1935年にアメリカでアルコール依存症の人たちが集まって始めた相互援助の活動にあると言われています。


12のステップ(回復のために目指すべき指針のようなもの)や「言いっぱなし、聞きっぱなし」のルール(一人が話している間は、他の人は黙って話を聞き、質問や批判などをしない。 ミーティングで聞いた話は、外に持ち出さない。)など、多くの自助会に共通する枠組みのようなものはあります。


が、3つの自助会に参加して思ったのは、グループによってかなり雰囲気が違うということ。「言いっぱなし、聞きっぱなし」のルールに乗っ取っているところもあれば、普通の雑談のように話し合うところもありました。主催者のカラーに左右されるところも大きいのでしょう。


私は、1つ目のグループに参加したときは、不思議な安心感を覚えました。こんなことで悩んでいるのは自分だけじゃないと思うとほっとしました。でも、そこに続けて通うことはありませんでした。


何でなのかはわかりませんが、もう一度行こうという気持ちになれなかったんです。思うに、そもそも自助会に行こうと思うようになったこと自体、私にはすごいことでした。まあ、成長とか回復と言ってもいいのかもしれませんが。そして、自助会にしばらく行き続けることも結構エネルギーのいることだと思います。


私にはそこまでのエネルギーがまだなかったのかもしれません。あとは、アダルトチルドレンっていう広すぎる括りが、私にはしっくり来なかったのかも。更に、「言いっぱなし、聞きっぱなし」で喋ってると、私が言ってることみんなどう思ってるんだろうと違和感がありました。


「言いっぱなし、聞きっぱなし」のルールは、批判を恐れずに自由に話せるために設けられてるんですが、普通の会話と違うので、私には結構違和感がありました。他の人が話していることに対して、質問とかもしてみたかったし。


2つ目の自助会は、2~3年くらい関わってたと思いますが、半年くらい期間が空くこともあったので関わり方は限定的だったと思います。


3つ目の自助会は、現在進行形で参加しています。通い続けると人間関係が発生するので、人間関係のなかで落ち込んだり疲れたりすることもあります。ただ、私は、これまで傷付かないように人間関係を避けてばかり来たので、嫌なことがあっても、これまで出来なかった経験を積んでるんだと思うようにしています。


なーんちゃって、仏でもあるまいし、「ほんとコイツ嫌いだわー!」とか「傷つくようなこと言うなー(´;ω;`)ブワッ」と思いながらモヤモヤすることたくさんありましたけどね(笑)


あと同じ悩みを抱えてる人たちだからこそなのかもしれませんが、共通項を見つけると嬉しくなるんだけど、逆に他の人と自分を比べて落ち込むこともあります。「いや、病気とか言ってるけど、あんた大丈夫やん。」とかね。


配偶者や交際相手の有無、仕事の有無、症状の程度とか比べればキリがありませんからね。そういう意味では、「言いっぱなし、聞きっぱなし」のルールの中で悩みを話すだけで、雑談はナシ!というやり方であれば、個人的な情報をやり取りしなくて済む分、他の人と比べて落ち込む可能性は低くなるかもしれないですね。


病気だったり家族の問題って普段なかなか人に言えませんが、それを普通のこととして言える場があるということが、私にはとてもありがたかったです。自分のことを率直に言えない、隠さなければいけないことがあるって辛いものです。


今回の自助会にいつまで参加し続けるかはわかりません。行っても楽しくなくなれば辞めるでしょう。でも、参加できたことは、私が楽しく暮らせるようになるうえで間違いなく大きな一歩でした。


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