SAD(社会不安障害)と生きる

社会(社交)不安障害の当事者です。症状のことや対処法について、のんびりと書いてます。

私がやってみたこと(本腰を据えて心療内科へ行く編)

私は、いい加減に自分の問題ときちんと向き合おう!と思いました。これが転職して4年目のこと、32歳の頃でした。


とりあえず、私がやろうと思ったのは、きちんと心療内科に行くこと、カウンセリングを受けてみること、同じような問題を抱えた人たちの自助会に行くことでした。この記事では、本腰を据えて心療内科に行こうと思い、実際どうなったかを書きたいと思います。(カウンセリングと自助会参加の件は、まだ後日。)


思えば、私が初めて心療内科に行ったのは、17歳くらいのときでした。ああ、ついに頭のおかしい人になっちゃったんだ、というみじめで悲しい気持ちでいっぱいだったのを覚えています。その頃は、社会不安障害がどうっていうよりも、リストカットがあったり、精神的に不安定だったので、母親に病院に行こうって泣きながら言われて心療内科に行くことになりました。母親にそう言われて、母親がもう私を抱えきれなくなって、病院に丸投げされたような気持ちになったのを今でもよく覚えています。


その後も、大学生のときに人前での発表がうまくいかずに心療内科に駆け込んだりと私と心療内科のお付き合いは、15年近く続きます。ただ、きちんと自分の症状を話そうとか、先生のアドバイスを聞こうと思ったことは一度もありませんでした。私がどんな思いでいるかとか、真摯に向き合ってくれたと感じられる医者にも出会ったことがありませんでした。だから、とりあえず困ったときに薬をもらいに行く。服薬の指示もあんまりちゃんと聞かない(飲みすぎなきゃいいんでしょくらいにしか思ってない。そもそも薬をあんまり飲みたくない。)。


これまでに7~8箇所くらいの心療内科に通院してきました(引っ越しが多かったというのも理由のひとつではあるのですが。)半年とかしばらく通って、何となく症状が気にならなくなるとフェードアウト。そして、1、2年して何か困ったことがあると別の医者に駆け込むという有り様。さすがになあ、ちゃんと病院に行こうと思って、口コミサイトを見て、良さそうな病院を予約しました。口コミサイトでこの病院が良いかなと思ったのは、話をよく聞いてくれると書いてあったからです。調子が悪くなってから、ずーっと思ってたのは、誰かにちゃんと関心を持って話を聴いてほしいということでした。


いざ連絡をしてみると、空きがなく、1カ月ほど後に初診の予約を入れました。女性の先生を希望しました。


さて、いよいよ初診の日。ドキドキしながら病院に行き、診察に入るとそこにいたのは初老の男性医師でした。「え?女の先生じゃないの?」と思いましたが、それは言えずにぐっと飲み込みました。すると、その男性医師が、「女性の医師(院長)を希望されてたのに、私だったからがっかりされましたか?この病院に来る方の多くは、女性医師に診てもらいたいと来られますから。ただ、初診では時間を掛けて話を聴きますが、院長だけでは難しいので、初診だけ私が担当します。」と言われました。


実際、初診では、困っていること、具体的な症状やこれまでの通院歴を50分ほど掛けて聞いてもらいました。そのなかで、医師から「いじわるな質問かもしれないけど・・・」と前置きされて聞かれたことがいくつかありました。その質問の内容を全部は覚えていないのですが、質問の一つは「なぜその病院を変えようと思ったの。」というような内容でした。引っ越したからとか、理由はいくつかありますが、そうやって聞かれていくうちに、「ああ、私は、自分の問題と向き合ってこようとしてこなかったんだな。それで医者にちゃんと自分の要望や困っていることを伝えることもなく、この病院もダメだと思って行かないようになったんだ。伝えてみてから判断しても良かったのかもしれない。」と思いました。


今までの心療内科の通院歴のなかで、このときの診察が一番良い意味で印象に残っています。その医師は、何かきついことを言うわけではないんです。でも、質問が鋭くてこちらも考えざるをえませんでした。それから、医師が使っていた「いじわるな質問かもしれないけど・・・」という前置きが意外と重要だったのかなと思います。鋭い質問ばかり単刀直入にされると、やっぱる辛いと思います。でも、そうやって前置きされると、この人は私が意地悪だと感じるかもしれないなと想像しながら話してくれてるんだと思えたので、その鋭い質問にも耐えられたのだと思います。


そして、その医師から「あなたが、こちらの手の内に入ってきたと感じられないと、こちらもきちんとした治療はできない。」というようなことを言われて、確かにそうだなと思いました。結局、2回目以降は、予定通り女性医師に診察してもらうようになり、その病院には8ヶ月くらい(ペースは月に1回から2か月に1回)通ったと思います。調子が良くなって何となく行かなくなっちゃったので、今回も本腰を据えて通えたかはちょっとわかりません。でも、その病院から紹介してもらったカウンセリングにはずっと通っていますし、この病院が自分にとっては一番きちんと通えた病院だったと感じています。


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小康状態からの症状再発 その②

部署異動したことで、症状がまた出るようになりました。自分の意思とは関係なく、自分の体のコントロールがきかなくなる感覚は、何度経験しても本当に情けなく、みじめな気持ちになります。やっぱり自分はどこかおかしいんだという思いでいっぱいになり、本当に辛かったです。

 

しばらくは何とかやり過ごせないかと思いましたが、やっぱりどうにもならずに再び心療内科に行きました。薬を処方してもらいましたが、まあ、相変わらず効いてるときもあれば、どうにもならないこともありました。

 

このとき初めて、ここ数年の間の症状の出方を考えてみて、部署異動と症状が関係してるんじゃないかと気付きました。

A部署は、B部署に比べて扱う事案の種類が多く、覚えなければいけないことが多いです。B部署は、同様の案件にじっくりと取り組むという感じで、それに比べるとA部署は、広くいろいろな案件を扱うという感じです。私は、わからないことを人に尋ねるのがすごく苦手です。でも、まだ経験の浅い私は、A部署で新しい種類の案件にぶつかるたびにわからないことだらけでした。これがまずストレスになりました。しかも、やってもやっても新しい案件が来るので、自分が出来ている感じが全くしない。こんなこと質問したらどう思われるだろう、こんなに何も出来ないのって私だけなんじゃないのかとしょっちゅう思っていました。

 

質問するときは、どう質問するか、相手は今そんなに忙しくなさそうか、もっと自分で調べられることはないかetcといろいろ考えてしまい、「あ、これわかんないな。」と思ってから質問するまでに、2~3時間かかることもザラでした。あと、出来れば周りにあんまり人がいないときに質問したいんです。何ならその日のうちに質問できないこともありました。まあ、その間は、とりあえず出来る別のことをやっているわけですが、頭の片隅にはずっと「あのことをいつ質問しよう・・・、今かな・・・、やっぱやめよう。」と思っています。そんなこんなでぐったり疲れてしまいます・

 

普通の人からしたら、早く質問しろや!って感じだと思いますが、それが出来ないんです。とにかく、自分が注目を浴びるかもしれないことを避けたい気持ちが強いんです。私は、人前で何かしても悪い評価をされるに違いないという何だかよくわからない強い思いがあります。これも人からすれば考えすぎ!ってことだと思うのですが、そんなに簡単に変えられるものでもないのです。人が、周りの世界をどう捉えるかって、それこそ考えてどうにか出来るものではなく、長い期間をかけて、幼少期からの家族とかとの関係を通して染み付いたその人の構え、姿勢みたいなものだと思います。

 

で、A部署の環境は私にとっては、B部署よりストレスフルなものでした。でも、私は、仕事自体にはやりがいを感じてしたし、この仕事を続けたいと思っていました。とりあえず、私が編み出した対処策は、ノートパソコンの下に台を置いて、パソコンの位置を高くするということ。こんな感じに↓

 

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すっごい単純な対処策ですが、薬よりも効果てきめんですが、そりゃ当たり前ですよね。向かいの席の人の顔が見えなくなるから(笑)

以前に前の席の人の視線が気になったときも、こうすりゃ良かったのに・・・。こんな単純な対処法でも、自分で対処法を考えて、実際に実行できたのは私にとっては大きな一歩でした。以前であれば、「自分は何でこうなんだ。」と責めるばかりで、原因探しや批判はいいからとりあえず対処法を考えよう!と切り替えるのは難しかったと思います。あるいは思いついたとしても、こんな台いきなり使い出したら変に思われるんじゃないか、とか思って二の足を踏んでたと思います。

 

とりあえず、これで何とか第一の難関は乗り切りました。しかし、私は、次第にこのままでいいのかと考えるようになりました。結局、根本的には何も解決していない。こんな風に、状況次第で症状に振り回されるままでいいんだろうかと思うようになりました。それから、私は、自分の親との関係でいろいろと問題を抱えていました。社会不安障害や家族の問題ときちんと向き合わなければいけないんじゃないか・・・と思うようになったのです。

 

こう思うようになったのは、社会不安障害の症状に悩まされるようになって10年近い時間が経ったということや、心療内科にその場しのぎ的に通っても結局何も解決しなかったということも影響しているでしょう。しかし、それだけではなく、転職して対人援助職の仕事に就いたことが何よりも大きかったように思います。私は、今の仕事にやりがいを感じていて、まあ、定年まで勤められるか、そんな先のことはわからないけど長く続けたいと思っていました。しかし、私は、自分の病気や家族の問題に振り回されてばかりで正直自分のことで一杯一杯でした。私がクライアントの立場だったら、そんな風に自分のことで頭が一杯な人に自分の担当になってほしいとは思わないでしょう。実際、自分に余裕がないと十分な援助なんてできません。

 

仕事を続けていくためにも、私は、自分の問題と向き合わなければいけないと思うようになりました。

 

 

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小康状態からの症状再発 その①

ところで、リアルタイムの話題を書いているわけではないので、いつもブログを書き始めるとき、前回どこまで書いたんだっけ?とわからなくなります。今もちょっとわからなくなってます、どこまで書いたっけ(笑)?

 

あと、こんな地味なブログですが、アクセスはあるので見てくださってる方はいるようですが、どんな方が見てくれているのかな~と気になりながら書いています。社会不安障害の当事者の人が多いのかな?と思うのですが、どうなのでしょう。私は、あんまり他の人のブログを読まないのですが、どんな内容だと参考になるのかなぁと一応気にしたりもしています。もしブログを読んで、知りたいこと聞いてみたいことなどあればお気軽にコメントください(´∀`)

 

閑話休題

 

前回は、転職後に調子を崩して心療内科に行ったけど、部署を異動したことで回復したところまで書きました。私の勤務先には、大きく分けると二種類の部署があります。詳細は書けないのでイメージしにくいと思いますが、仮にA部署とB部署とします。A部署とB部署でそれほど忙しさは変わらないのですが、扱う事案の内容が違います。

 

ちなみに、私は、転職した当初はA部署に配属されて、しばらくして症状が出るようになりました。そして、B部署に異動して症状が気にならなくなりました。そのときは、B部署での仕事も本当に大変で、悩みまくりな毎日を送っていて(まあ、今もそうなんですけどねヽ(;▽;)ノ)、週末は昼過ぎにやっと起き出すような生活でした。なので、B部署に異動したからって生活が充実したわけでもなかったので、部署異動と症状が関係しているというのは最近まで意識していませんでした。

 

社会不安障害の人の多くがそうではないかと想像するのですが、社会不安障害の症状自体も悩みの種ではあるのですが、症状そのものだけよりも他にもっと大変なことってありませんか?私は、そうでした。大勢の人の前で震えちゃって喋れない、電話を取るのが恐いとかも本当に困るんですよ。だけど、もっと具体的に、職場のこの人と合わないとか、人と親しくなれないとか、仕事が忙しくてくたくたとか、親との関係がうまくいかないとかとか・・・。社会不安障害の症状とはまた違うけど、頭を悩ませることって山ほどあります。

 

で、B部署に異動してからは、向かいの席の人の視線が恐いということはなくなりました。それで、心療内科にも行かなくなりました。B部署に異動になってから1年ほどは、社会不安障害の症状は小康状態でした。その後、転勤となり、転勤先でもB部署に勤めることになりました(ここでもB部署に1年間ほど勤務)。そこでも症状に悩まされることはあまりありませんでした。何なら、20人位を前にして講習的なことをする機会もあったのですが、最初は薬を飲んでやっていたものの、最後の方は薬なしでも何とか乗り切れました。しかし、仕事では覚えることが山ほどあり、仕事もあまり早い方ではないため、連日の残業でヘトヘトでした。

 

話がちょっと逸れますが、社会不安障害の人って仕事遅い人多いんじゃないかなと思います(私がそうであるように)。だって、不安が強いわけで、不安が強いといろんなことが気になっちゃって集中を持続するのが困難だと思うんです。あと、不安だからいろんなことをきちんとやろうとし過ぎて、力の抜き方がイマイチな気がします。大変だよねー、我ながら。

 

さて、転勤して2年目にA部署に異動となりました。A部署に異動して1、2週間ほどした頃だったかと思います。前の席の人がこちらを見たときに(正確にはパソコンの画面を見るためにこちらを向いたとき)、顔が震えてしまったんです。「あ、まずい。」と思いました。2年近く小康状態だった社会不安障害の症状が、はっきりと出るようになってしまいました。ここからは、以前と同じです。また、顔が震えてしまうんじゃないか、相手が変に思うんじゃないかと思って、体が緊張して頭が真っ白になりました。パソコンの画面を見るのが苦痛で仕方ない。前の席の人がほかの用事で席を外してくれていると本当にホッとしました。

 

ちなみに、以前もこの時も、向かいの席の人が特別恐い人だったというわけではありません。まあ、以前のときは、超優秀な上司だったので、多少は恐かったか。でも、この時の向かいの席の人は、あまり年の離れていない女性で、そんなに恐い人というわけでもなかったのです。これまでの経過を考えると、部署異動と症状が関係しているようでした。

 

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私がやってみたこと(嫌々ながら再び心療内科へ行く編)

しばらく(4年くらい?)は、心療内科に行かないでも何とか生活出来ていましたが、転職してからの症状再発で心療内科を再び頼らざるをえなくなりました。(´・ω・`)ショボーン


しかし、今回はこれまでの反省から、ちゃんと話を聴いてくれる医者のところに行こう、今度はちゃんと症状のことも話そうと思いました。ネットの口コミサイトを手当たり次第に探して、何となく良さそうな病院を予約!!


私は、心療内科に限らず、他の診療科に行くときも必ず口コミサイトを確認してから病院に行くようにしています。口コミサイトがあまり当てにならないときもありますが、口コミ見ずに病院行っていた頃に比べれば変な医者にぶち当たる確率はぐっと減りました。

医者って本当にピンきりなので、口コミサイト見て病院決めるのはオススメです。本当は知り合いとかにリアルの感想を聞けるのが一番なんでしょうけど、心療内科だとなかなかそれも難しいですよね。


あと、私が口コミサイトを見るときに気をつけているのは、点数だけじゃなくてコメントの中身をよく読むこと。他の人には評判良くても、自分の苦手なタイプの医者っているじゃないですか?私の場合は、「ぶっきらぼうだけど腕は良い」とか「サバサバした先生」などなどの記述は、危険フラグです。どんなに知識が豊富でも、ぶっきらぼうな人は無理。あと「サバサバしてる」っていうのも、なかなか当たり外れが大きいと思います。

さて、いざ再びの心療内科へ!!
何度行ってもドキドキするものですね。そもそも待合室が苦手なんです。心療内科の待合室にいる人を見ると、「ああ、この人たちも何かしらの心の病を抱えているのか。」と思い、そして、「周りからは私もそう思われてるのかな。」と思うと、何だか妙な緊張感でソワソワ落ち着きません。ジロジロ見て目が合っても気まずいし、でも、どんな人がいるか気になるし・・・とかいろいろ考えるの疲れるっっ!!受付の人は、「ああ、この人、病気なんだ。」とか思ってるのかなとか、変に自意識過剰になってしまいます。

診察の際は、症状をあまり隠さずに伝えました。でも、やはり自分の症状を伝えるのがすごくつらいです。自分の症状って、いつも人に見せていない自分の核の部分。そもそも注目を浴びるのがすごく苦手で、自分のこともあまり話さない人間が、いきなりそんな核の部分をさらけ出すのって、すごくハードルが高いのです。しかも、核の部分だから、相手から変な反応が返ってきたり、否定されたりしたら、ダメージも通常時の比ではないです。それが恐い。

とりあえずこの時も初診時は15分くらい症状について話し、薬を処方してもらいました。薬を飲むと多少楽にはなりましたが、やはり体のダルさなどの副作用がありましたし、薬を飲むことへの抵抗感も相変わらずあり、調子良くなったな!とはなかなかなりませんでした。その頃をどうやって乗り切ったのか、あまり記憶にありません。


とりあえず、以前よりも心療内科との付き合い方はうまくなりました。しばらくは定期的に病院に通い、薬をもらって飲む。不安で規定量より多めに飲んでしまうこともありましたが、以前の様に規定量の5倍とか無茶な量を飲むことはなくなりました。先生にも以前よりは隠さずに症状のことを話すようになりました。ただ、症状が気にならなくなったのは、薬や心療内科のおかげではなく、その後部署を異動したことの影響が大きかったです。部署を異動したことで、業務内容が変わってストレスが減ったのか、前のデスクの人の視線はそれほど気にならなくなりました。

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転職からの症状再発

さて、大学院生の頃(23~24歳の頃)にアルバイト先で知り合った人と付き合うようになり、大分状態は持ち直しました。大学院を2年間で修了し、企業に勤めましたが、他にやりたい仕事があったので(その仕事に就くにはちょっとお勉強が必要でした。)、新卒で入った会社を1年半で辞めました。まあ、最初の会社を辞めたのは、やりたい仕事があったというだけではなく、その会社がクソみたいなところだったという理由もありますが(笑)


契約社員として違う会社にとりあえず就職して、やりたい仕事に就けるように勉強と仕事を並行する日々が始まりました。若かったのと転職先の同僚や社長が良い人たちだったので、何とか両立生活をこなせましたが、今なら無理です。


そして、27歳の頃にやりたかった仕事に就けることになりました!やりたかった仕事は、詳しくは書けないのですが、対人援助職でした。カウンセラーとは違うのですが、カウンセラー的な業務もある仕事です(面談して人に話を聴く)。それまでの会社勤めでは事務職だったのですが、自分にはつくづく事務職が向いていないと悟りました。営業職(その多くは男性)のサポート役はもう御免でした。社会不安障害にも関わらず、人と関わる仕事がしたかったのです。

何で対人援助職に惹かれたのか、私なりに考えてみました。私は、それまで人との関係で苦労することの連続でした。生きることが本当に大変だった。だから、みんながどんな風に生きているのか知りたいという気持ちがありました。それがこの仕事に惹かれた理由なのかなと思っています。


さて、晴れて念願の職に就きました。新しい環境で新しい仕事を覚えるのは、ものすっっごい大変!!ただでさえ、不安が強くて、環境への適応が苦手なのに毎日、毎日ヘトヘトでした。週末は昼過ぎまで起きられないくらい。ただし、仕事の内容は好きだったし、尊敬できる人も同僚にいたので、歯を食いしばって頑張っていました。


仕事を始めてしばらくした頃、私の席の向かいの同僚がパソコン画面を見上げるのに顔をあげたときに、私は、顔が震えてしまいました。


あ、これはやばいな、、、と思いました。相手は変に思ってないかな、どうしよう、震えませんように、震えませんようにと思えば思うほど、体が強ばっていきます。相手が書類を見るのに視線を落とすのが恐くてたまりません。なぜなら、次にいつ顔をあげるか恐くて仕方ないのです。



相手は大して気にしていないだろうこともわかっています。こんなことを恐がるのはおかしいのもわかっています。でも、どうにもなりませんでした。


私は、段々と相手の方に顔を向けているのが辛くなってきてパソコンの画面を見れなくなってしまいました。また社会不安障害の症状に悩まされてる自分が情けなくて、惨めでした。家に帰って、交際相手に電話しながら泣きました。


こうした状態がしばらく続き、このままでは仕事にならない!と思い、大嫌いだった心療内科に再び行く決心をしました。

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私がやってみたこと(人との出会い編)

さて、大学院で行き詰まって、失意のどん底を経験して、心療内科で薬を処方してもらったものの状況は良くなりませんでした。

気分の落ち込みや焦燥感などなど、辛いことがてんこ盛りでしたが、朝起きられないことも問題でした、、、。そこでコンビニの早朝アルバイトを始めることにしました。仕事を入れれば無理にでも起きるだろうという思いつきによる苦肉の策でした。

コンビニの早朝勤務(午前6時半開始)を始めて、勤務がある日は起きられるようになりました。(でも、疲れるから勤務が終わった後に二度寝することも多かったですけどね。)そして、コンビニでよくシフトに一緒に入る人たちが本当にいい人たちでした。大学院の狭い人間関係のなかで窒息しそうだった私にとって、これは本当にありがたいことでした。

コンビニのアルバイトなんて朝早く起きれること以外何にも期待してなかったので、人との出会いは思いがけない幸運でした。そして、その1人と付き合うようになりました。私は、対人緊張が強くて、人の輪に入れず、誰とも親しくなれないことが本当に辛かったです。

私は、誰にも受け入れられないし、誰も私に関心がないという強い思いがありました。今から思えば、私の人に対する不信感が強すぎて、そりゃ誰も近寄らないよねと思うのですが、当時はなぜこんなにうまく行かないのかという思いしかありませんでした。

私にとって薬は根本的には何の助けにもなりませんでした。でも、大学のときに出来た友人や、大学院のときに付き合うようになった人のおかげで、私は少しずつ外の世界とつながれるようになり、症状も良くなっていきました。

社会不安障害になる人って、自分が変に思われるんじゃないか、きちんとしていなければいけないって気負ってる人が多いんじゃないかと思います。そう思う背景には、自分への自信のなさと人に対する信頼感の希薄さがあるように思います。

私もずーっと自分に自信が持ちたい、もっとオープンな人間になりたいと思ってきました。でも、そんなこと思うだけで変われるわけないです。意思の力ではどうにもならない。ましてや薬の力でもどうしようもない。人との関係のなかで気付いたら、少し楽になってるくらいが丁度良いように思います。

私も人との出会いのなかで少しずつ楽になって来ましたが、それでもまた社会不安障害の症状に悩まされることもありました。回復って行ったり戻ったりで、ながーい道のりだなぁと思います。

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私がやってみたこと(カウンセリングを受けてみる編)

大学1~2年生の頃は、薬がなくなれば心療内科に行くということを繰り返していました。3年生になる頃から、ゼミ形式の授業が増え、大勢の前でのプレゼンテーションがなくなったこと、大学で初めて親しい友人ができたことなどが幸いして、症状に悩まされることは減りました。
ただし、相変わらず人の輪に溶け込めない、人といると緊張する、体がだるくて日常生活がガタガタという状態は続いていました。

そして、大学を卒業して大学院に進学。大学院の指導教授とそりが合わずに、メンタル絶不調になります。大学3年生からの勉強が楽しくて、もう少し勉強を続きたいと思って、他大の大学院に進学したので、結構意気込みがありました。文系だったので、大学院進学がメジャーな選択肢というわけでもなく、覚悟を決めて進学したつもりでした。なのに、指導教授とうまく行かない。自分はどこで選択を間違えたのか、何が駄目だったのか、、、とお先真っ暗な気持ちで、思い悩む日が続きました。

なかなか眠れなくなったり、気持ちの落ち込みと焦燥感で集中するのが困難でした。また久しぶりに心療内科に行きました。薬を処方してもらいましたが、特に改善されませんでした。

この頃は本当に失意のどん底だったので、心療内科で埒があかないなら、カウンセリングでも受けてみようかと思い、藁にもすがる思いで、初めてカウンセリングを受けました。悩みの内容は、社会不安障害の症状というより、指導教授との関係がうまくいかないこと、そのことで気分が落ち込みとてもしんどいということを話しました。

カウンセラーさんは、私の話をしばらく聞いた後に、おもむろに「これまで他の人との間でも、その先生と同じような関係になったことはありませんか。」というようなことを聞きました。

たぶんカウンセラーさんの意図としては、同じよう関係を繰り返してませんか?その問題を振り返っていきましょうよ、ということだと思うのですが、私の気持ちとしては「はあ!?」でした。

私としては指導教授のやり方がおかしいと思ってるからうまく行かないわけで、でも、カウンセラーさんは、私に問題があると思っていて、その原因を分析してやるぞ(鼻息粗め)!!って態度がありありと感じられて、ああ、この人にはいろんな悩みを打ち明けるのは無理だ、、、と思って、1回で行かなくなりました。

その後、紆余曲折を経て、現在再び別のカウンセラーさんにカウンセリングを受けています。今度は、1年近く通っています。最初のカウンセリングの内容って、その後カウンセリングを継続できるかどうかの別れ道だなぁと思います。カウンセリングに来る人ってみんなとても困っているわけで、最初なんて特にそうで、カウンセラーさんの一言一言にとても敏感です。最初にこの人は信頼できると思えるかどうかが大事だなとしみじみおもいます。

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